ごあいさつ
あらためて、このたびの東日本大震災で犠牲になられた方々を悼むとともに、被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。
3月11日(金)午後2時46分、巨大地震が発生しました。あれからちょうど3週間。めまぐるしい毎日でした。必死でした。
その日、県議会の予算特別委員会を終え、地震発生時、私は産業道路を車で走行していました。地面が波打ち、電柱は左右に大きく振れ、電線は縄跳びのように上下する、異常な光景でした。ラジオからは、巨大地震による津波への警戒を繰り返し報じていました。
3時半に約束があり、キャンセルしようにも携帯電話がつながりません。やむを得ず、迷惑も顧みず、その場所に向かいつつ、市内の被害状況を確認。大きな被害は見当たりませんでしたが、急ぎ予定の訪問を終え、情報を得るため、消防本部に飛び込みました。
そこには、様々な通報が届いていました。川口市内での被害は、電線の切断数件、外壁の崩落数件、エレベーター内での閉じ込め1件など。幸い人的被害が発生していないことを確認し、次の場所へ走りました。
そこには、県からの被害状況の第一報が入っており、「川口工業病院が崩落の可能性あり」との目を疑うような一文が記載されていました。無事であってほしいと祈りながら、事実を確かめるべく、病院に向かいました。職員の方に聞くと、壁に数か所亀裂が入り、外来の天井が一部落ちてきたが、けが人はなく、建物の安全性は確保されているとの説明を受け、安心しました。
その病院には、私の知り合いの方が入院しており、すぐにお見舞いにうかがうと、地震の直後、入院患者も全員、寒い中、駐車場に避難したとのこと。安全が確認された後、5時ごろにようやく病室にもどったということです。
その後、初めて見たテレビ映像は信じられないものでした。津波が家屋をなぎ倒し、凄まじい勢いですべてを奪っていく。首都圏でも交通機関は完全に麻痺し、幹線道路は大渋滞。被害の甚大さを痛感しました。
余震が頻発する中、経験したこともない、巨大地震への対応が始まりました。
次の日から、できる限り多くの、日ごろお世話になっている方々や知り合いのところを回り、安否の確認や被害状況の確認に歩きました。高齢者を中心に余震が続き眠れないというも人も多く、念のため避難したという方々にもお会いしました。当日は帰宅できず、翌日ようやく家にたどり着いたという方が大勢いました。お見舞いを申し上げるとともに、落ち着いた行動を呼びかけました。被災地に住む家族や親族、知り合いと連絡が取れず心配だという多くの声に接しました。川口市内の方で東北をはじめ被災地に家族や親族が数多くいることをあらためて知りました。
週明けの14日(月)には、まずは私たちにできることをとの思いで、公明党県議団は4月から議員の給与を2割削減し、それを復興支援の財源にすることを県議会各派に提案。翌15日、県議会2月定例会最終日に、全会一致で条例改正を実現することができました。
震災翌日からのガソリン不足に続き、日常生活品が底をつくという昭和49年のオイルショックを思い出させるような事態が発生しました。そして、電話が頻繁にかかってくるようになりました。
歩く中で、悲鳴が聞こえてきました。ガソリン不足が運送業者をはじめ多くの中小零細企業や商店を直撃しました。医療機関では、医師や看護師が移動できず不足するだけでなく、計画停電が始まった場合、自家発電用の重油が不足すれば患者さんが命の危機にさらされる。酸素吸入器など多くの医療機器が電気なしでは稼働しないからです。15日の議会閉会と同時に、こうした声を知事に伝え緊急要望を行いました。
その後、被災者を埼玉県でも受け入れるべきとの訴えもありました。公明党県議団として知事に申し入れを行いました。さいたまスーパーアリーナでの被災者の受け入れが開始されました。救援物資の受け付けも開始されるなど矢継ぎ早に様々な動きが開始されました。
また、ボランティアとして協力したいがどうすればいいか、使っていない布団があるがどこにもっていけばいいか、などたくさんの善意の声が寄せられました。未曽有の国難であり、異常事態ともいえる状況の中で、助け合い、支えあう心が大きく広がっていくのを実感しました。皆で頑張って、この困難を乗り越えていくんだとの強い意志が感じられました。一縷の光明を見る思いでした。
巨大地震と大津波、相次ぐ余震に原発事故が重なりました。重大な事故です。放射線が漏れはじめ、いまだに事態は収拾していません。
その影響で、東京都の浄水場での放射性ヨウ素の数値が暫定基準値を超えるというに至り水不足が発生しました。その2日後、川口市の浄水場でも暫定基準値を超える放射性ヨウ素が検出されたとの一報が昼前に入りました。すぐにその日の午後の予定をキャンセルし、公明党川口市議団の皆さんと一緒に、川口市長に事実確認とともに緊急要望を行いました。すでに放射性ヨウ素の数値は安全なレベルに下がっており、健康には全く影響がないことが確認できましたが、引き続き監視を強化することなどを申し入れました。
川口市内にも避難所となっている西スポーツセンター以外にも多くの被災者の方々が親せきや知人を頼って避難しています。6人、8人、多いところには20人の方々が避難をしています。あいている部屋の提供を受けたり、すでにアパートや貸家に入っている人もいます。とるものもとりあえず、大変な思いで避難してきた方々ばかりです。何人もの被災者とお会いました。話を伺うと、狭くても、家族一緒に落ち着いて避難生活ができることを涙ながらに喜んでおられました。
今は、避難してこられた被災者を受け入れた方からのご相談が増えています。小学生3人のお子さんを抱え避難してこられた方とも会いました。教育委員会に連絡し川口市内の小学校での受け入れのお手伝いをしたりと様々なご相談をいただいており、その解決に奔走してまいりました。
落ち着いた避難生活を確保したとはいえ、仕事や将来の生活など不安の種は尽きることがありません。生活の再建はまだこれからです。これからもできうる限りの応援をしていきたいと決意しております。
川口市内でも中小零細企業を中心に計画停電により大きな影響が生じています。建設資材をはじめ各種資材・材料などが不足しており、今後、生産や事業に与える影響が懸念されます。経済的な影響はこれからが正念場です。
こうした状況の中、統一地方選(県議選)がスタートします。明日、告示を迎えます。これまでとは全く違う選挙戦になります。
この3週間、震災への対応に必死でしたが、多くの皆様から逆に励ましの声もいただきました。2期8年の経験と実績を生かし、この未曽有の国難に立ち向かうべく復旧復興の一助になりたいとの思いで3期目に挑戦させていただきます。
南2区(川口市)の県議選は、もとより大変に厳しい戦いではありますが、多くの皆様の絶大なるご支援に支えていただいていることに深く感謝申し上げ、その御恩に報いるためにも全力で戦ってまいります。
3月31日 塩野正行

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